今回はモデルの冨永愛について英語力を中心に紹介したいと思います。
冨永愛のプロフィール
生年月日:1982年8月1日
出身地:神奈川県相模原市
身長:179㎝
靴のサイズ:25.5㎝
活動期間:1997年-
冨永愛の好きな言葉は、「立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花」だそうです。
冨永愛の顔って独特で、アジアの顔立ちながらハーフっぽさもありますよね。
そんな冨永愛は英語が堪能なんだとか!
冨永愛の英語力は?
パリコレをはじめとする様々なファッションショーでウォーキングしてきた冨永愛。
そんな冨永愛の英語力について調べてみました。
身長179センチ。
15歳でモデルになった。世界を目指すと決めたのは高校生のころだ。英語は全く話せなかったが、海外で地図を片手にひとりオーディションを回った。
「世界中のモデルが人生をかけてやって来るから、生半可な雰囲気じゃない。圧倒されました」
アジア人のモデルは珍しく、露骨な差別を肌で感じることもあった。「バカにしないで」という怒りが挑むような強いまなざしに表れ、トップデザイナーを引きつけた。
渡米したのは、20歳です。
当時、冨永愛は、英語はまったくできませんでしたがガンガンオーディションをうけにいっていたんですね。
その意志の強さが冨永愛の顔に滲み出ている気がします。
冨永愛の英語の発音は?
冨永愛の英語の発音は、もともとかなり日本人訛りがある英語でしたが、モデルとして年数を重ねるごとに訛りがほとんどなくなってきました。
冨永愛は一時期芸能活動を子育てのためにセーブしてきましたが、2017年9月から芸能活動を再開したので、また冨永愛の英語を聴くことができるかもしれません。
冨永愛の英語勉強法は?
冨永愛は今でこそ、英語が堪能ですが、モデルを始めニューヨークに行った当初は、全くと言っていい程、英語が出来ませんでした。
冨永愛さんの英語はとても綺麗で、落ち着いた話し方をされてます。
相当英語に慣れてますね。しかし、冨永さんが海外で仕事をし始めた時に一番大きかった壁がこの英語だといいます。冨永さんは高校を出たら自立すると決めていたそうで、2000年単身ニューヨークに向かいました。上で紹介した流れからいくと、冨永さんは日本での話題と共に難なく世界で有名になったように見えがちですが、決してそうではなかったそうです。
高校での英語の授業もまともに受けられなかった冨永さんはNYに降り立った時「YES」「NO」しか言えないレベルで、相手の言うことが全く分からなかったそうです。そんな英語力で自分をアピールするブックと呼ばれる写真集を持ってオーディションに駆け回る日々。
YES、NOだけの英語力でアメリカでモデルとして働こうってなかなかの根性ですよね(笑)
そんな冨永愛は、英語を独学で勉強しました。
独学で英語を勉強した芸能人と言えば、菅野美穂も独学です。
→【関連記事】菅野美穂は英会話できる?英語勉強法は独学?子供は英語できる?
菅野美穂の場合は、海外旅行好きが高じて英語が話せるようになりました。
冨永愛はアメリカのメトロで勉強?
メトロを乗り継ぎ、1日、20件回ったこともあったそうです。また、会った瞬間ブックをバタンと閉じられ終了と言われるオーディションもあり、そういうオーディションではなんとか食い下がり自分をアピールするそうです。相手が試しているのは英語力と表現力。拙い英語力を鍛える為にただ会話が聞きたくて地下鉄に乗り続けたこともあるそうです。
「電車で人の英語の会話を盗み聞く」というのは、あまり聞かない英語勉強法ですね(笑)
ただ、リアルな英語を聴くのは、かなり英語の勉強になったと思います。
冨永愛は英語を勉強せざるを得ない環境だった!
また冨永さんの時代はまだまだアジア人がランウェイを歩くことが少なかったため差別も多かったようです。「アジア人はドレスは着られない」「黒しか着られない」など、偏見からのスタートですので、オーディションに受かる為にはどうしても相手に自分の魅力を言葉としても伝えなければならなかった。必死で英語を勉強したそうです。レッスンにも通ったが続かなかったようで、冨永さんは全て独学で英語を身につけました。
冨永愛は、当時は珍しかったアジア人のモデルだったので、偏見の目で見られることが多かったといいます。
モデルとして食べていくには、自分のことを英語で表現し、仕事を勝ち取っていくことは必須条件でした。
冨永愛が英語が出来るようになった要因は、英語を勉強せざるを得ない環境に自身を置いたことと言えます。
これから冨永愛の英語を聴くのが楽しみです。
それでは、Have a nice day!!