今回は平井堅さんについて英語力を中心に紹介したいと思います。
- 生年月日:1972年1月12日
- 出身:三重県名張市
- 学歴:横浜市立大学
- 職業:シンガーソングライター
- 事務所:研音(1995-1999年)
- ピンナップスアーティスト(1999年-)
顔が濃い歌手と言えば・・・平井堅さんですね(笑)
風貌は中東系ですが、純粋な日本人です。
デビューは1995年ですが、なかなかヒットに恵まれませんでしたが、2000年に『楽園』がテレビCMに使われこれが大ヒットし、世間で知られるようになりました。
平井堅の英語力は?
平井堅英語上手いよねワイ英語わからんけど
— らじっぇ (@rajiradio) May 11, 2021
平井堅さんは高い音程で甘い歌声で歌われますが、日本語だけでなく、
英語でも歌われています。
過去にNHKで平井堅さんの特集が組まれた時はヘンリー・クレイ・ワーク作曲の『大きな古時計』を日本語と英語で歌っていました。
平井堅さんは曲はもちろん英語で歌えていましたし、アメリカの小学生や現地人と英語で会話されていました。
番組内で平井堅さんの英語が聞き返されることはなかったので、ネイティブにも通用する英語であると言えるでしょう。
因みに英語で『大きな古時計』は英語では『Father’s clock』と言われています。
平井堅はハーフ?外人?日本人?両親の写真は?ゲイ?
平井堅が純日本人と知ってびびってる。今日この頃
— かいり (@Nakarin12k12i08) January 6, 2022
結論から言うと、平井堅さんはハーフではなく、純日本人です!
結果として、平井堅はハーフ顔ではありますが、4代前までの先祖は全て日本人、ハーフ顔は父親に似たという事でした。
日本国内の飛行機に乗った時、キャビンアテンダントが他の人には「ありがとうございました」と挨拶しているのに、平井堅だけ「サンキュー」と言われたそうです。
しかし、彫りが深く、鼻が高く、髭も濃いし、顔も小さいので中東人ぽく見えますね!
平井堅はインド人の間違われたこともあるようです。
20年ほど前、東京・新宿駅西口で集会を行っていたインドの人々から「お前も来いよ、こっちこっち」とインド人に間違えられた
平井堅さんには姉がおり、その姉は平井堅さんとそっくりらしいです (笑)
顔が濃いのは父親からの遺伝であり、母親は日本人顔であるようです。
※因みに日本人の平均顔は以下です。
顔が丸くて小さめ。女は色白か茶色、男は主に褐色や茶色の肌が多い。
髪の毛はほとんどの人が黒髪。めがねまたはコンタクトをつけている人が非常に多い。
あごが短いまたは引っ込んでいてEラインの整っている人が少ない。
目は一重と二重両方いるが、若い世代では蒙古ひだのある人がほとんど。
目元の彫りが浅めでおでこにかけて削げている印象を受ける。しかし男の場合、鼻だけは鷲鼻っぽく他の東洋人に比べ高い人が多い。
上記の写真は日本人の平均らしいですが、思ったより悪くない顔でした。
しかも、日本人て顔小さめで東洋人の中では鼻高いんですね。
顔デカく、鼻低い民族だと思っていました。
外国人に比べたら顔も鼻も低いですが・・・
完全に西洋人の顔ですね。
西洋人にしては目が小さいかな、とか思いましたが、
彫り深すぎて目が小さく見える外国人もいますもんね (笑)
平井堅はニューヨーク留学で英語勉強するも号泣?
「アナザースカイ」の番組 平井堅さんだった。14年前NYに語学留学したが、なかなか英語力がつかず挫折した話とか、その時にたまたま聴いた美空ひばりさんの日本語の歌に感激。「NYで暮らして、イケてるニューヨーカーになって、たまに東京に戻って仕事する」(あれ、たかちゃんのこと)🗽💕➡
— 桜子 (@sakurako375) August 26, 2017
平井堅はニューヨークに住んでいたことがあります。
ハーフ顔なのでニューヨークに住んでいても違和感がないですね。
2017年8月25日放送の「アナザースカイ」(日本テレビ系)で、歌手の平井堅が、渡米で味わったかつての挫折を明かした。
番組では、平井が14年前に3ヶ月ほど住んでいたというアメリカ・ニューヨークを巡り、自身の軌跡をたどった。平井は2000年に「楽園」がヒットした際、自身を取り巻く環境が一変したことに困惑していたという。「歌をたくさんの人に聞いてほしいということと、自分が有名になることがつながっていなかった」と当時の心境を語る。
平井は、注目され続けるうちに「『歌詞を間違えたらどうしよう』『声がひっくり返ったらどうしよう』『音程が狂ったらどうしよう』っていう不安と恐怖しかなくなってしまって」と告白する。
2003年ごろ、歌うことが怖くなった平井は、マネジャーに「辞めたい」と相談。そして日本を飛び出し、ニューヨークに住むことを決意してマンションを購入したという。ニューヨークを拠点に、ときどき東京に戻って仕事をするというライフスタイルを夢見ていたが、英語の習得がはかどらず、夢は消え去ろうとしていた。結局、ニューヨークで購入したマンションには住むことなく売却し、平井にとってニューヨークは苦い思い出の地になったのだとか。
「日本語で日本の歌を歌うことの面白さ、奥深さがやっとわかった」と感じたという平井は、帰国後の2004年に「瞳をとじて」を発表し、同年シングルチャート1位、累計出荷100万枚突破を記録した。
平井堅さんはニューヨーク留学をしていたんですね。
しかし、ニューヨーク留学は上手くいかず英語の習得は出来なかったんですね。
番組内でがニューヨークで歌手活動のプレッシャーで号泣することもあり、充実した英語学習はできなかったようです。
しかし、そのニューヨークでの苦い経験のおかげでヒット曲「瞳をとじて」が生まれたと言っていました。
これからも平井堅さんの活躍が楽しみですね!
それではHave a nice day!!
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